都会の喧騒を離れ、郊外の庭付き一軒家に移り住んでから初めての夏、私はリビングの窓からすぐ見えるツツジの茂みに、立派なキアシナガバチの巣ができているのを見つけましたが、当初はその不気味な造形と、周囲を警戒するように羽音を響かせるハチたちの姿に恐怖を覚え、すぐにでも駆除業者を呼ぼうかと迷いました。しかし、ある時、一匹のキアシナガバチが庭のキャベツに付いたアオムシを見事に仕留め、その場で団子状に丸めて巣へと持ち帰る様子を目の当たりにした瞬間、私の中で「怖い虫」という認識が「庭を守る守護神」へと劇的に変化したのです。それからの私は、ハチたちを驚かせないように一定の距離を保ちながら、双眼鏡を使ってその緻密な社会生活を観察することを日課にするようになりましたが、キアシナガバチの働きぶりは驚くほど勤勉であり、日の出とともに活動を開始し、夕暮れ時まで何度も往復しては狩りを行い、巣の上では羽を扇風機のように動かして幼虫に風を送り温度調節をする姿には、どこか人間味さえ感じさせる健気さがありました。もちろん、洗濯物を干す際や水やりの際には彼らの縄張りを侵さないよう細心の注意を払い、黒い服を避けて白い帽子を着用するといった工夫を凝らしましたが、不思議なことに、私が静かに庭に佇んでいる分には、ハチたちは私を脅威と見なさないようになり、時折私の目の前を横切る際も、威嚇することなく優雅に長い脚を揺らして飛び去っていくようになりました。この奇妙な同居生活を通じて気づかされたのは、ハチは決して理由なく襲ってくる凶暴な魔物ではなく、ただ自分たちの家族と生活を守るために必死に生きている生命体であるという、至極当たり前の真実でした。八月の終わり、巣が最大になった頃には百匹近い働き蜂がひしめき合っていましたが、私が庭で読書をしていても、彼らは彼らの仕事を全うし、私は私の時間を楽しむという、言葉のない信頼関係のようなものがそこには流れていました。秋が深まり、新しい女王蜂が旅立って巣が空っぽになったとき、私はどこか寂しささえ感じながらその抜け殻を手に取ってみましたが、植物の繊維が緻密に編み込まれたその軽くて丈夫な構造には、自然界の知恵が凝縮されており、私に命の尊さを教えてくれた気がしました。キアシナガバチとの夏は、私にとって自然をコントロールしようとするのではなく、その一部として調和しながら暮らすことの豊かさを教えてくれる、何物にも代えがたい教育的な体験となりました。